日本人による解説本で説明されているイスラム教の内容を「日本語解説版」、それぞれに対する私が考える解釈を「日本人向け版」として示す。人類の過半数が神を信じているのに対して日本人は心からは信じていない人が多いと思うので。本物のイスラム教徒の方は不満を持つ可能性がある。

《イスラム教》
日本語解説版 日本人向け版
六信の一、アラー(アッラー)の信仰
見えるものも、見えないものも信じる六信の心の第一がアラーの信仰。
永遠の命を持つ唯一絶対神、全智全能の神アラー。
無限にして慈悲深い神であり、自存し、生みも生まれもしない、他に並ぶものもない、唯一無二の存在。
極大なものから極微のものまでを創造し、しかもその機能までも司る、とてつもない大きな存在である。
アラーと対等な存在はなく、人間は誰もが対等である。
即ちアラーは、国や宗教、性別、年齢、収入、階層などその他諸々の差にもかかわらず、人類を平等に扱う神である。
←同じ。
アラーは日本語では神。英語ではGod。
次の説明頁などによる総合的な結論。
神やGodは比喩的な使われ方をする場合が多いので唯一絶対神という意味ではアラーという言葉を用いるのが適切。
大筋ではアラーと人間の差は歴然で天と地の違いがある。
人間はそれぞれに諸々の差があり、それぞれにふさわしい相応の生き方がある。
六信の二、天使の信仰
天使の役目は神と人間の仲介役で、この宇宙には無数に存在してそれぞれの任務を持っている。 天使なくして我々の願いは神に通じないし、神の意志も我々に伝達されない。 日本の神々の概念(多神教)に通じるものがある。
たとえば、多くのノ-ベル賞授賞者の方々や文化功労賞受賞者の方々とその関係者達。国々の指導者と実現する人達。挙げればきりがないほど無数の方々が任務を持っている。良い例だけでなく、悪い例を示している人々も含めると誰もが任務を持っている。悪い例を示さざるを得ない理由がわかった人はそれを改めるように努力するのが任務である。
六信の三、諸啓典の信仰
アラーは幾度となく、時代に応じて預言者や使徒をこの世に遣わし、人間に対して警告を発し福音をもたらしている。 それが啓示である。イスラム教として現在伝えられている啓典には、 アラーの教えである聖典「コーラン(クルアーン)」だけでなく、 ユダヤ教のモーセの五書(旧約聖書)とダビデの詩篇、キリストの福音書(新約聖書)も含まれている。 ユダヤ教、キリスト教の啓典は長い年月の間に消滅したり、当時の都合によって内容が書き換えられたり不純物が混入してしまったため(たとえばユダヤ教の「選民思想」やキリスト教の「キリストの神格化」など)、今の時代になって新たな発見により認識が変わることがあったりする。コーランはこうした不純物を浄化するものであり、神の意志を最も完璧に伝える最後の啓示と信じられている。
たとえば、日本ではノストラダムスの啓示が非常に功を奏した。 「このままだと1999年に人類は滅亡するかもしれない。」という情報が人々に警戒感を与え、滅亡しないように早くから努力していた。 たとえば、2000年問題対策などである。

キリスト教の聖書には不寛容社会に対する戒めとして、次の御言葉がある。
「だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。
もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださらないであろう。」

一人横綱を守って優勝した最後の勇姿が思い出される元横綱日馬富士関。勘違いもあったようだが説教の意味合いを含んだ日馬富士関の暴力行為に対して、貴ノ岩関側は穏便に済ますチャンスもあったが、厳しく対応。日馬富士関は引退するしかない結果となってしまった。他業界では、たとえばビートたけしは昔暴行事件を起こしたことがあったが、その後自分の職を失うことなく、けんか相手業界にも貢献して大活躍できている。被害者(加害者)は日馬富士関だけでなく、日馬富士ファンも同じ(とは限らないが)。日馬富士関の相撲により生き甲斐を得ている人もいた。貴ノ岩関に対して「慰謝料が欲しいのはこっちだ。」と思った人もいるわけだが、暴力行為があったのだからしょうがない。その貴ノ岩関が暴力事件を起こした。マスコミが大騒ぎしていた去年は表に出てこなかった貴ノ岩関が自ら謝罪。その謝罪会見を聞いて私は心のわだかまりが消えた。出来ることなら2人とも日本の相撲界に戻ってきてほしいと願う。同胞同士で会うこともままならなかった異国の地から帰国してモンゴル相撲で逆襲という手もあるだろう。勘違いする要素が大幅に増えている今日この頃。日馬富士関暴力事件では双方の主張に食い違いがあり、関係があるかどうかはわからないが、たとえば、携帯利用。わからない単語や専門用語を連発する先生の話を少しでも理解するために講義の途中でも携帯やPCを使ってGoogle検索や辞書などで調べることが多い。今聞いている大事な内容をメモに残していることもある。優秀な人ほど、知識が多い分、メモは最低限に留めて先生の話に集中、必要に応じて講義後に質問する、受講者同士で議論、機械で調べるなどをしているようだ。機械に疎すぎる指導者だとしても理解しなければならないこととして、地震情報などの緊急速報を特に日本では見逃せない時代になっている。機械に疎すぎる指導者だとしても理解しなければならないこととして、地震情報などの緊急速報を特に日本では見逃せない時代になっている。携帯の緊急速報に誰も気がつかなかったということでは困る。
六信の四、諸預言者の信仰
預言者とは、神の言葉を預かった者であり、未来を予言したり占ったりする予言者のことではない。 人類の歴史のそれぞれの時代に、その民族の言葉で啓示を受け人々を導き、自身でも信仰を実践した人である。
次の人の他、全部で25人の名前が示されている。
  • アダム(人類の祖)
  • ズルキフル(仏陀という説あり)
  • モーゼ(「律法」啓示)
  • イエス(「福音」啓示)
  • ムハンマド(「コーラン」啓示)
ムハンマドは最後の預言者である。
たとえば、
  • 歴代総理大臣
  • 各政党党首
  • 池田大作(創価学会)
  • 大川隆法(幸福の科学)
  • 企業の社長、店長
たとえばであって、異論、反論があるのが民主主義の良いところであるが、 厳密に言うと、ムハンマドが最後の預言者である。
(六信の四はここで終わり。)

実際に異論反論が聞こえてきたが上記はこのままとする。
報道番組で「かつてある財界人が、バカな大将、敵より怖いと言い放ったことがあります。コロナ感染拡大が第三波を迎える中、マスク会食とかGoToキャンペーンを巡って国民の命をないがしろにしかねない政策、ダメな政府はウィルスよりも有害」などという発言があった。マスコミは結果に対して言いたい放題、賛同も反論も多種多様で難題山積の状況では、むしろ独裁政権のほうがましではとさえ思うこの頃。
GOTOキャンペーンを使わない人から見るとただただ減っていくだけの財源。 それほど観光業界が大切なのであれば、(政治家だけでなく日本国民に対して)なぜ何百万という観光客がいた韓国人の心を戻そうとしないのか。
なぜ絶対数で最も多かった中国人観光客がコロナが明けたらまた来たくなるような努力をしないのか。
(個人的には国をまたがる旅行が増えすぎることには元々反対だが、環境問題を考えない欲望だけで言うと観光奨励は賛成。)
マスクしながら会食というが、それは会話をしながら食べることを前提としているが、特に家族なら、会話は家でも歩きながらでもできる。 飲食店内では、殺害した牛や豚、鳥などを連想して、懺悔と感謝の気持で食べることに意識を集中させて黙々と食するなら、会話など必要ないのではないか。味について語るなら、舌は個人差があって同じではないのだから、うんちくは後回しで良い。話をせずに顔の表現力を鍛えるというのは良いだろう。食べては顔を見せ合って、顔だけで、辛い甘い美味しいまずい、また来よう、二度と来たくないなどの表現(顔会話)をする。コロナの間だけなのだから。中国人のように奇想天外なアイデアをどんどん出し合えばと思う。 国民が大声を出さないように求められている中にあって、大声を売りにするTVキャスターもいかがなものか。
経済よりも命を優先させた国が経済も立ち直っている。
「社長がバカすぎて困る、あんな社長に査定されたくない。」といった社員の声が聞こえてきたこともある。
社長が自分の畑の人かどうかを理解した上で会社を選んだのであれば文句は言えないが、入ってみないとわからないのが普通である。誰の目にも社長がバカであればそのままでは会社は続かないので当然社長交代が必要となる。
米国では前回の大統領選で(選挙によって)政治家よりも不動産王(トランプ現大統領)が大統領に選出された。トランプタワーを作ってその最上階に自分が住むという、人によっては全くあり得ない価値観の持ち主。格差社会が問題になっている中で、税金を多く払っていることを自慢する人もいる。穴があったら入りたくなるようなことを自慢する人もいるというのは価値観の違いによるものである。トランプ大統領の素晴らしいところは選挙の票数アップ(支持率アップ)に最大の努力をしていたこと。国民が自分達で国のリーダーを選べない国の人から票数アップの努力を批判されるいわれはない。但し、公平に大統領が選ばれるためには国民が総じて成熟している必要がある。トランプ大統領の場合、Qアノンなるフェーク情報ベースの支持者やバイデン次期大統領の移動を邪魔したような人々まで讃えるという善悪を考えないところが問題だった。日本には優秀な予言者がいてトランプ大統領がほとんど予言通りに行動されているのにはびっくりである。それにしても選挙前から不正で訴えるという予定がバレては、みんな不正をしないように努力するに決まっている。それでも不正が全くなかったとは言い切れないようだが。日本の優秀な予言者とは、たとえば人種とか民族の多様性の研究の一環で米民主党の陣営で選挙を手伝っていたという海野素央教授などのことである。4年間、その結果を見せつけられてなお、約半分に近い国民がトランプ大統領を支持した。トランプ大統領を支持しているとは表立って言えない理由としては、そこに正義がないからということもあるだろう。経済的に窮地に立っていると、正義感よりも自分の生活を優先する。世界の対立している国々に関与、一方を支持してそこに武器を売るという政策、人によっては、諸々の難題を解決しようとしない怠け者で全然仕事をしていないと感じるだろう。国民のために日夜休みなく仕事していたと感じる人もいるだろう。トランプ大統領が対立している中の一方の、どちらかというと正しい方を支持していたと思うのは自分達の側だからだろうと思う。どちらに転んでも反対勢力が邪魔をして米国も民主主義も大ピンチ!双方とも目に見えない影の支配に動かされているようだ。
「こんなに働かされて我々は奴隷のようだ。」といった派遣要員の声が聞こえてきたこともある。
確かに使われる身の私達は奴隷のように働かされているが、指導者と言われる方々も同じように奴隷のように働かされている。どっちが奴隷か疑わしい状況である。私の場合は今までと同様、力を尽くして狭き門をくぐってきた方々に従属するか、無理なら引退かしか道はないという状況である。今の時代、普通の健康な方なら自ら企業してやりたい仕事はいくらでも見つかるはずである。
いかに美味しく見せるかが見せ所の飲食のCM、パターンが落ち着いてきた感がある。
不動産のCMも多いが、家で過ごすことが求められる今、「るんるん気分でスキップしながら家に帰る。家に帰ると美しい夜景を一望できる。そこにいるだけで素晴らしい。料理つくるのもルンルン。」というCMが好印象。これなら住まいを目標に働く意欲も湧くというものである。
プロスポーツ選手や芸人など、生涯その職業で活躍できる人は一握りで、人生という尺度で言うとほんの一瞬といっても良いほど短い職業人生である。それゆえ別格の高給を認めるものである。こういう視点でいうと、仕事の内容によらず、非正規社員の給与を正社員よりも高く設定すべきと主張する気持ちは理解できる。ましてや、正社員と同等の仕事をしているとしたら、同額の収入を要求するのは、むしろ控えめと言わざるを得ない。
六信の五、来世の信仰
来世があってこそ現世もあると信ずるもので、現世は来世のための準備期間と考える。 現世は通過点に過ぎず、最終ゴールは来世なのである。 その来世は、天国(楽園)か地獄の世界であり、その人がどちらの世界へ行くかは、その人の現世の行動によって決まる。
それを決めるのはアラーであり、最後の審判でその人の現世の人生行動記録をもって裁くのである。
やがて世界の終末の日が到来する。大地は崩壊し、地球上のすべての秩序が消滅する最後の日である。
その日死者は、公平で真実の精神的な世界への最後の審判を受けるため復活する。そして最後の審判の日、その人の秤が善行で重い人は永遠の世界天国へ導かれ、秤が軽い人は奈落の底(地獄)へと落とされる。
「来世なんてあるものか」と享楽に耽るも、その人の自己責任の問題であり、信者は他人について、どうこう言うことはしない。信者の共通の願いは、来世は天国へ行きたいの一点につきる。そのためにこの現世をどう生きるかが問われている。
←(左記)をそのまま信じている人は、それで十分である。本当か嘘かということよりも、神が人類に善行を求めていることを誰でも(子供でも)わかるように示している。
世界の国や宗教、性別、年齢、収入、階層などその他諸々の差を考慮すると、これ以上誰もが意図を理解できる説得力のある説明は思いつかない。
たとえば今年2015年に放送されたNHKスペシャル ネクストワールド 私たちの未来(30年後2045年)シリーズのような、ある程度近年の知識がないと理解できないような、たとえば人工知能(AI)の類の内容では万人のためのメッセージとは言えない。(この番組は30年後か40年後も戦争がなくならないことを示していてテロの予感をさせる内容だったが、部分的には夢を持てる内容も多かった。)
世界の今を見渡すと、本当に大地が崩壊し、地球上のすべての秩序が消滅する最後の日が来そうな状況である。現世をどう生きるかが問われている。
六信の六、定命の信仰
この宇宙におけるすべての現象が、創造主、神の意志(予定や規則)のなかにあり、人間は誰も神から与えられた運命を首に結び付けて生きているということである。
その人の身体の特徴や人生における貧困の差、資質能力の差、家庭環境など、自分の意思の及ばないものをわたしたちは背負って生きている。
この人がなんでこんなに早く死んでしまうのだろう。またなんでこんなに悲惨な死に方をしなければならないのだろうと思っても大げさに嘆き悲しむことをイスラムでは良しとしない。その人の前世がどうこうと詮索することもしない。悲しみだけでは故人のためにはならない。定命を信じ、故人が神の許に帰って、やがて天国の住人となれるよう、アラーに執なしを祈る。我々はもともと神のものであり、いずれ神の許に帰るものである。
←同じ。
政治や文化、スポーツ、国民の世論などが連動して動いている。 たとえば、近年大人気の私も好きなフィギュアスケート界に的を絞ると、 各選手の国籍や特技、登場する状況などの多様性の奥にアラーの意思を感じさせる。
特定選手のライバル関係に着目すると、
伊藤みどりのライバルは、東ドイツの美女カタリーナ・ビット→日系アメリカ人のクリスティ・ヤマグチ→練習で四回転を飛んだことがあるアメリカのトニヤ・ハーディング→四回転や伸身のバック転を見せたフランスのスルヤ・ボナリーと続いた。
忘れたころに極美なスケーティングで圧倒的健在ぶりを魅せる佐藤有香のライバルは女性にしかない線の美しい表現を魅せた八木沼純子。互いに子供のころから同じリンクで一緒に過ごして切磋琢磨したライバルでもあった。アイスダンスのシブタニ兄妹ペアは佐藤有香/五十嵐文男組という架空のペアを観る思いである。DNA的に「この人、誰々と似ている。」と思うことがよくあるもので、社会的な役割と言う意味で似ていることも多い。
仙台のリンクで育った本田武史と荒川静香は、特にこの人というライバルは思い出せない。
そして浅田真央。ライバルは韓国のキム・ヨナ。浅田真央が大活躍していたジュニア時代にすでに将来を予感させるものがあった。
今は男子のジュニアで同様の韓国選手が出てきているので、同じアジアの血を引くアメリカ選手とともに注目。
報道によっては全スポーツの中で今年一番人気の羽生结弦は、期待する前に五輪チャンピオンになってしまったが、テロ直後で世界が恐怖におののいているときの、テロには屈しない精神の東日本大震災被害者である羽生の世界最高得点更新が話題のこのごろだが、「この人、平昌(ピョンチャン、韓国の次回五輪開催地)までもつ?」という言論に不安を抱いている人も多いと思う。中国のキム・ボーヤンが気になる存在。四回転ルッツを含め、4種類の4回転ジャンプを飛ぶのである。四回転ルッツというと30年前にすでに練習では飛んでいたチェコ(スロバキア)のヨゼフ・サボフチックが思い出される。彼はその後怪我に泣いた。当時選手として活躍していた羽生のコーチの元祖ミスター・トリプルアクセル ブライアン・オーサーのライバルはブライアン・ボイタノ。ボイタノはナポレオン・プログラムで日本で大人気となったキャンデローロに影響を与えた。ジャンプ時に手を上げて難しくする技術は今も多くの選手に受け継がれている。羽生をアルファベットで書くとHANYUとなり、中国ではHANYUは中国語と韓国語を意味している。中国語は声調で意味を使い分ける。試合には勝ったけど、観客はキムに大声援を送ったなど多様な状況が予想される。精神面、体力面ともに想像を絶する過酷なスポーツでもあるフィギュアスケートだが、所属国を問わず、下位のグループでも素晴らしい演技を見ることができるのが特徴である。
キスアンドクライ(結果待ちエリア)で悔し涙を流していたりがっかりしている選手の演技が一番良かったりするのもフィギュアスケートである。 もちろんフィギュアスケートに限ったことではない。
「天国の住人となれるよう、アラーに執なしを祈る。」ということは、
たとえば、スポーツ選手や芸能人などが若くしてあっさりと亡くなってしまうことがある。 そのとき、生前の偉業をみんなで称えることで、人々の心の中にその偉業が記憶として残る。

以上の記載から時が経ち、平昌五輪もすでに過去のこととなった。羽生の生命力は人知を超えていて四回転ルッツでの怪我にも打ち勝った。五輪直後に若い選手が難度の高いジャンプを決めて新たな時代の到来を予感させることが多い。今年はテレビの報道特集で外国人労働者問題の特集を見ていながらも、内容が落ち着いたところでだったかCMに入ったからだったか、フィギュアスケートNHK杯広島大会女子シングルが今まさに放送されていることを思い出してチャンネルを回したところ、ちょうど紀平梨花がリンクに入って演技に入る前だった。トリプルアクセル+トリプルトゥループとトリプルアクセルを決めてグランプリシリーズのデビュー戦で優勝を果たした演技をLIVE放送で見ることができたのだが、身体以上に指の演技に目が行った。ビールマンスピンも良かった。30年前、カルガリー五輪直後の世界選手権でカート・ブラウニングが大きな大会で初めて4回転を決めたことや、その年のNHK杯で女子の伊藤みどりがトリプルアクセルを、男子のトッド・エルドリッジがトリプルアクセル+トリプルトゥループを飛んだことも思い出した。まさに平成に変わる直前のことだった。私の記憶が間違っていないことを祈るが、最新のロシアの大会では、なななんと、14才の女子がそれも2人が四回転ルッツを決めて1位2位を独占、あのザギトワが5位という。ちょっと前までメドヴェージェワが絶対女王だと思っていたところにザギトワが現れたと思ったら今度は紀平、ジュニアではトゥルソワが2度の4回転を決めて凄いと思ったらシェルバコワも現れた。その昔、「みどりが男でなくて良かったよ。」という声を聞いたが、今は本気で「***が男でなくて良かったよ。」と思っている男子が多いものと思う。今年はセクハラが話題の1年でもあったが、アラーの気分次第では肉体面でも女子が男子を逆転する日が来る可能性もあるので要注目である。
フィギュアスケートNHK杯広島大会の裏番組の報道特集では、米中間選挙をアメリカで見てきた記者のレポートが気になった。 「民主主義社会というのは自分とは違う考えの人がいるということをまずは認めて少しでも一致できるところを探していこうという大きな前提をみんなが共有する必要があると思うんですけれどもトランプ大統領は自分と考えが違う人のことをからかったりバカにしたり激しく攻撃して支持者の一部もそれに喝采を送るという惨憺たる状況になっています。」
最近、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」という曲を耳にすることが多いが、「ママ たった今 人を殺した 頭に銃口を突きつけ 引き金を引くと彼は死んだ」という内容が衝撃的。歌で良かったと思う。
五行の一、信仰の告白
イスラム信仰の基本である次の言葉(カリマ)を表明する。
「わたしはアラーの他に神はないことを証言します。」
「わたしはムハンマドはアラーの使徒であると証言します。」
義務行為の五行の中で最も大切な柱がこのカリマを信ずることである。 この柱が失われない限りその人は信者である。
次の事実を信じる。
「アラーの他に神はない。」
La ilah illa Allah
「ムハンマドはアラーの使徒である。」
Muhammad Rasul Allah
五行の二、礼拝
一日五回定められた枠内で礼拝を行う。
  • 日の出前
  • 午後
  • 日没
たとえば、
一日五回定められた枠を自分で決めて仕事や学業などの種類によって雑談なり瞑想なり休憩なり運動なりで生活のリズムを整える。
  • 起床時
  • 10時ごろ
  • 昼食後
  • 15時ごろ
  • 夕食後
五行の三、喜捨
与える者にも受け取る者にも人間としての喜びと神への感謝があり、同胞愛を示すものである。 人には運、不運があり、ものごとの結果は、本人の努力によって決まるものではない。 富める者が貧しい者に財産の一部を施すことは、神に対する信仰の証であり、それによってその人のもつ財産のすべてが一層価値あるものとなる。 喜捨には義務のものとは別に任意のものがある。 任意の喜捨は、金銭や物だけではない、その人の行動、例えば親切な言葉を掛けること、気持ちよい挨拶や、老人や身体の不自由な人に手を貸すことも任意の喜捨であり、神の貸付として計算され、その人の天国の道へ連なるのである。
←同じ。
お正月の初詣でのお賽銭も喜捨と言える。 良い行いをすることで神のご加護が得られる。 それ以上に悪いことをしたらダメである。
五行の四、断食
イスラム暦の九月、健康で家に留まる者は、この30日間日の出前から日没まで、一切の飲食を断つことが義務づけられている。 この断食は、一年間に蓄積された不純物を精神的にも肉体的にも除去する斎戒の勤行であり、信仰心の昂揚によって自分の心身の浄化を目指すものである。
健康で家に留まるのが難しい人は、年一回健康診断を実施し、診断結果によってはダイエットなどの習慣が必要である。
五行の五、巡礼
預言者ムハンマドが生まれイスラムを開教した聖地がメッカである。 ムスリム(イスラム教信者)は一生に一回は、でき得る限り巡礼に参加することが義務づけられている。
←同じ。
メッカは遠すぎる。たとえば、
「一生に一度はお伊勢参り。」
酒は飲めない。
酒に関して次の事実がある。
  • 犯罪者の弁、「酔っていて覚えていない。」
  • 酔っ払い運転事故が後を絶たない。
  • 病気になって診察を受けると、酒とたばこの量を聞かれる。
  • 酒は人の意識を失わせるほどに危険なものである。
以上から、人によっては、次のような疑問を持つ人もいる。
「レバ刺しを禁止するならどうして圧倒的に害が多い酒や車は禁止しないのか。」
体質によって酒に強い人と弱い人がいることが分かっている。
車は人によっては必需品。将来的にはAI化により事故は極力防ぐことができるようになる。災害時のサブハウスや自家発電機能なども期待される。
麻薬はダメだけれども酒とたばこは良いと判断するか、酒もダメと判断するか、これは文化と伝統の違いと考えるべきだと思う。
豚肉は食べられない。
豚肉は不浄なものとして一切口にすることができない。
健康維持方法としてカロリーを抑える菜食がブームのこのごろ、 スタミナをつけるには魚が良いとされ、肉は鶏肉が選ばれる。 牛肉や馬肉は刺身にも使えてレアでも食べる事が可能だが、豚肉は必ず中まで火を通すようにと注意される。 つまり良い食べ物の優先度としては豚肉は低位置にある。
しかし、安くておいしいのでよく食べる。 これも文化と伝統の違いと考えて許されるべきだと思う。 日本人は猫の肉は食べない。

特に頭脳が発達している生物を食するにあたっては、なるべく苦しまない方法で息の根を止めてから食材として処置する必要がある。 食べるときも感謝をこめて、たとえば映画「タンポポ」の焼き豚に対する「後でネ」みたいな姿勢で野菜などの後に食べる。 個人差もあるが、普通はアルコールが入っていると、その分、本来の肉や魚の味を味わうことができないはず。 大勢の飲み会で飲食するにしても、特に牛ステーキや焼き豚などを食べる際は、会話をいったんやめて集中して感謝の気持ちを込めて食べることが望まれる。 特に野生の動物を殺害して食する場合、酒に溺れた状態で少しだけ食べて残したりでは動物も浮かばれない。
男女間の不平等性
イスラム社会には職業や服装や家庭生活の面で、一見男女不平等に見られる側面がある。 しかし、それは男と女の間には、肉体的にも社会的生活の面でも違いがあることを認めるが、意識としては差別や区別とは違うということである。
男には男の、女には女の役割があるということで、男性は外に出て一家を養うための収入を得る。女性は家庭を守る。他の異性になるべく会わせないことで不倫・不貞を防ぐ。現在も幼児の教育は母親に委ねられるのが、一般的であるが、実態を見ると、サラリーマンの男性がよく食料品の買物をしたり、子供が病気のときは仕事を休んで世話をする姿が見られる。そうした子どもを中心とした家族の絆は強く、それが家族崩壊を防ぐ要因となっている。
たとえば、陸上の世界記録を比較するまでもなく、男性の方が女性よりも優れている部分がある。 しかし、男である私は女性である福島千里には100m競争で絶対に勝てない。 指導者数を男女とも同じにするということではなく、全体の指導者の30%を女性にするといった対応が平等ということである。 もちろん30%という数字は職種により0%~100%の可能性がある。 出生率低下の原因の1つは男に対する高望み、子供を育てるのがめんどくさいなどが考えられる。 この場合、女性としての役割放棄という一面もある。
天国にはきれいなお姉ちゃんがいっぱい
天国にはきれいなお姉ちゃん(イケメン)が多いので天国に行けるように努力する。
女性にもてたい人は女性にもてるように努力して生きる。 本屋に行けば、
「もてたいならこうしろ。」という本がいっぱいある。
もてたくなければその逆をやれば良い。
国によっては、男性から女性に酒を注ぐとか、女性を褒めることが習慣になっている。
聖戦
闘いは自衛のためであること。
闘う相手は戦闘員であること。
非戦闘員、とくに婦女子に対する手出しは禁じられている。
コーランより、
「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアラーは、侵略者を愛さない。」
非戦闘員に危害を加えないばかりでなく、樹木や収穫物も損傷せず、敵が降伏すれば講和し敵意を解消する、また講和を望めばそれに同意する。 これがムスリムに許された聖戦(ジハード)といわれる戦争である。
←同じ。
過去の戦争責任を問おうとする人がいるが、今現在戦争を起こさない努力をすることが先決である。 今現在のどういう人が戦争を起こそうとするかを研究すればどういう業界のどういう人のDNAが過去の戦争の原因かが推測できるようになる。
世界は観光や経済活動などで国境を超えて行き来するようになっている。人間は自分達を客観的に観ることができない難しい生物だが、文化の違う外国人によって自分達には気がつかない問題を指摘してもらえる。紛争が絶えない国はその国民のDNAの傾向に問題があると考えられやすいが、歴史をたどると先進国と思われている国々の人々のDNAが常に新種の異物を流行らせて紛争を大幅に増加させたということも言える。山口組の抗争なども日本人のDNAの傾向のサンプルとして世界は見るだろう。

世界の宗教の多さは人類の生き方の多様性を示している。イスラム教に限らずどの宗教も、多くの政党のように否定的に解釈されてしまう部分があるため、日本人は、無宗教の人が多かったり、お正月は初詣をして盆には墓参りしてクリスマスにはサンタクロースがいたりケーキを食べたりするなど、毎日の生活に負担にならないようなことは実践するという、ちょっとだけ信者みたいなところがある。 しかし、ISによるテロ事件があって、「イスラム教にも学ぶべき部分がある」というスタンスでイスラム教を応援しようと思い、たまたま所有していた宗教の解説本を読み始めた。すると、一度読んだことがある解説本なのに、今読むと、応援どころか、イスラム教こそが我がホームページで説明している内容の結論に最も近い宗教であることが判明した。従って、唯一絶対神ユイラーと記載していたページも唯一絶対神アラーと修正した。

参考資料

・樋口美作著「日本人ムスリムとして生きる」

改正履歴

・2015-12-31 初版

・2017-01-03 更新(わずかな修正&追加)

・2018-12-31 更新(バランスを考慮したわずかな修正&追加)

・2019-01-06 更新(自然災害を受けてのわずかな修正&追加)

・2021-01-05 更新(新型コロナウイルス禍でのわずかな追加)

・2022-05-06 更新(わずかな追加)

inserted by FC2 system