日本人による解説本で説明されているイスラム教の内容を「日本語解説版」、それぞれに対する私が考える解釈を「日本人向け版」として示す。人類の過半数が神を信じているのに対して日本人は心からは信じていない人が多いと思うので。本物のイスラム教徒の方は不満を持つ可能性がある。

《イスラム教》
日本語解説版 日本人向け版
六信の一、アラー(アッラー)の信仰
見えるものも、見えないものも信じる六信の心の第一がアラーの信仰。
永遠の命を持つ唯一絶対神、全智全能の神アラー。
無限にして慈悲深い神であり、自存し、生みも生まれもしない、他に並ぶものもない、唯一無二の存在。
極大なものから極微のものまでを創造し、しかもその機能までも司る、とてつもない大きな存在である。
アラーと対等な存在はなく、人間は誰もが対等である。
即ちアラーは、国や宗教、性別、年齢、収入、階層などその他諸々の差にもかかわらず、人類を平等に扱う神である。
←同じ。
アラーは日本語では神。英語ではGod。
次の説明頁などによる総合的な結論。
神やGodは比喩的な使われ方をする場合が多いので唯一絶対神という意味ではアラーという言葉を用いるのが適切。
大筋ではアラーと人間の差は歴然で天と地の違いがある。
人間はそれぞれに諸々の差があり、それぞれにふさわしい相応の生き方がある。
六信の二、天使の信仰
天使の役目は神と人間の仲介役で、この宇宙には無数に存在してそれぞれの任務を持っている。 天使なくして我々の願いは神に通じないし、神の意志も我々に伝達されない。 日本の神々の概念(多神教)に通じるものがある。
たとえば、多くのノ-ベル賞授賞者の方々や文化功労賞受賞者の方々とその関係者達。国々の指導者と実現する人達。挙げればきりがないほど無数の方々が任務を持っている。良い例だけでなく、悪い例を示している人々も含めると誰もが任務を持っている。悪い例を示さざるを得ない理由がわかった人はそれを改めるように努力するのが任務である。
六信の三、諸啓典の信仰
アラーは幾度となく、時代に応じて預言者や使徒をこの世に遣わし、人間に対して警告を発し福音をもたらしている。 それが啓示である。イスラム教として現在伝えられている啓典には、 アラーの教えである聖典「コーラン(クルアーン)」だけでなく、 ユダヤ教のモーセの五書(旧約聖書)とダビデの詩篇、キリストの福音書(新約聖書)も含まれている。 ユダヤ教、キリスト教の啓典は長い年月の間に消滅したり、当時の都合によって内容が書き換えられたり不純物が混入してしまったため(たとえばユダヤ教の「選民思想」やキリスト教の「キリストの神格化」など)、今の時代になって新たな発見により認識が変わることがあったりする。コーランはこうした不純物を浄化するものであり、神の意志を最も完璧に伝える最後の啓示と信じられている。
たとえば、日本ではノストラダムスの啓示が非常に功を奏した。 「このままだと1999年に人類は滅亡するかもしれない。」という情報が人々に警戒感を与え、滅亡しないように早くから努力していた。 たとえば、2000年問題対策などである。

聖書には不寛容社会に対する戒めとして、次の御言葉がある。
「だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。
もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださらないであろう。」

日本人としては、憲法を守り、道徳にかなう生活を送ること。いざというとき、どうすることが正しいかを考えて行動する。
六信の四、諸預言者の信仰
預言者とは、神の言葉を預かった者であり、未来を予言したり占ったりする予言者のことではない。 人類の歴史のそれぞれの時代に、その民族の言葉で啓示を受け人々を導き、自身でも信仰を実践した人である。
次の人の他、全部で25人の名前が示されている。
  • アダム(人類の祖)
  • ズルキフル(仏陀という説あり)
  • モーゼ(「律法」啓示)
  • イエス(「福音」啓示)
  • ムハンマド(「コーラン」啓示)
ムハンマドは最後の預言者である。
たとえば、
  • 歴代総理大臣
  • 各政党党首
  • 池田大作(創価学会)
  • 大川隆法(幸福の科学)
  • 企業の社長、店長
たとえばであって、異論、反論があるのが民主主義の良いところであるが、 厳密に言うと、ムハンマドが最後の預言者である。
六信の五、来世の信仰
来世があってこそ現世もあると信ずるもので、現世は来世のための準備期間と考える。 現世は通過点に過ぎず、最終ゴールは来世なのである。 その来世は、天国(楽園)か地獄の世界であり、その人がどちらの世界へ行くかは、その人の現世の行動によって決まる。
それを決めるのはアラーであり、最後の審判でその人の現世の人生行動記録をもって裁くのである。
やがて世界の終末の日が到来する。大地は崩壊し、地球上のすべての秩序が消滅する最後の日である。
その日死者は、公平で真実の精神的な世界への最後の審判を受けるため復活する。そして最後の審判の日、その人の秤が善行で重い人は永遠の世界天国へ導かれ、秤が軽い人は奈落の底(地獄)へと落とされる。
「来世なんてあるものか」と享楽に耽るも、その人の自己責任の問題であり、信者は他人について、どうこう言うことはしない。信者の共通の願いは、来世は天国へ行きたいの一点につきる。そのためにこの現世をどう生きるかが問われている。
←(左記)をそのまま信じている人は、それで十分である。本当か嘘かということよりも、神が人類に善行を求めていることを誰でも(子供でも)わかるように示している。
世界の国や宗教、性別、年齢、収入、階層などその他諸々の差を考慮すると、これ以上誰もが意図を理解できる説得力のある説明は思いつかない。
たとえば今年2015年に放送されたNHKスペシャル ネクストワールド 私たちの未来(30年後2045年)シリーズのような、ある程度近年の知識がないと理解できないような、たとえば人工知能(AI)の類の内容では万人のためのメッセージとは言えない。(この番組は30年後か40年後も戦争がなくならないことを示していてテロの予感をさせる内容だったが、部分的には夢を持てる内容も多かった。)
世界の今を見渡すと、本当に大地が崩壊し、地球上のすべての秩序が消滅する最後の日が来そうな状況である。現世をどう生きるかが問われている。
六信の六、定命の信仰
この宇宙におけるすべての現象が、創造主、神の意志(予定や規則)のなかにあり、人間は誰も神から与えられた運命を首に結び付けて生きているということである。
その人の身体の特徴や人生における貧困の差、資質能力の差、家庭環境など、自分の意思の及ばないものをわたしたちは背負って生きている。
この人がなんでこんなに早く死んでしまうのだろう。またなんでこんなに悲惨な死に方をしなければならないのだろうと思っても大げさに嘆き悲しむことをイスラムでは良しとしない。その人の前世がどうこうと詮索することもしない。悲しみだけでは故人のためにはならない。定命を信じ、故人が神の許に帰って、やがて天国の住人となれるよう、アラーに執なしを祈る。我々はもともと神のものであり、いずれ神の許に帰るものである。
←同じ。
政治や文化、スポーツ、国民の世論などが連動して動いている。 たとえば、近年大人気の私も好きなフィギュアスケート界に的を絞ると、 各選手の国籍や特技、登場する状況などの多様性の奥にアラーの意思を感じさせる。
特定選手のライバル関係に着目すると、
伊藤みどりのライバルは、東ドイツの美女カタリーナ・ビット→日系アメリカ人のクリスティ・ヤマグチ→練習で四回転を飛んだことがあるアメリカのトニヤ・ハーディング→四回転や伸身のバック転を見せたフランスのスルヤ・ボナリーと続いた。
忘れたころに極美なスケーティングで圧倒的健在ぶりを魅せる佐藤有香のライバルは女性にしかない線の美しい表現を魅せた八木沼純子。互いに子供のころから同じリンクで一緒に過ごして切磋琢磨したライバルでもあった。アイスダンスのシブタニ兄妹ペアは佐藤有香/五十嵐文男組という架空のペアを観る思いである。DNA的に「この人、誰々と似ている。」と思うことがよくあるもので、社会的な役割と言う意味で似ていることも多い。
仙台のリンクで育った本田武史と荒川静香は、特にこの人というライバルは思い出せない。
そして浅田真央。ライバルは韓国のキム・ヨナ。浅田真央が大活躍していたジュニア時代にすでに将来を予感させるものがあった。
今は男子のジュニアで同様の韓国選手が出てきているので、同じアジアの血を引くアメリカ選手とともに注目。
報道によっては全スポーツの中で今年一番人気の羽生结弦は、期待する前に五輪チャンピオンになってしまったが、テロ直後で世界が恐怖におののいているときの、テロには屈しない精神の東日本大震災被害者である羽生の世界最高得点更新が話題のこのごろだが、「この人、平昌(ピョンチャン、韓国の次回五輪開催地)までもつ?」という言論に不安を抱いている人も多いと思う。中国のキム・ボーヤンが気になる存在。四回転ルッツを含め、4種類の4回転ジャンプを飛ぶのである。四回転ルッツというと30年前にすでに練習では飛んでいたチェコ(スロバキア)のヨゼフ・サボフチックが思い出される。彼はその後怪我に泣いた。当時選手として活躍していた羽生のコーチの元祖ミスター・トリプルアクセル ブライアン・オーサーのライバルはブライアン・ボイタノ。ボイタノはナポレオン・プログラムで日本で大人気となったキャンデローロに影響を与えた。ジャンプ時に手を上げて難しくする技術は今も多くの選手に受け継がれている。羽生をアルファベットで書くとHANYUとなり、中国ではHANYUは中国語と韓国語を意味している。中国語は声調で意味を使い分ける。試合には勝ったけど、観客はキムに大声援を送ったなど多様な状況が予想される。精神面、体力面ともに想像を絶する過酷なスポーツでもあるフィギュアスケートだが、所属国を問わず、下位のグループでも素晴らしい演技を見ることができるのが特徴である。
キスアンドクライ(結果待ちエリア)で悔し涙を流していたりがっかりしている選手の演技が一番良かったりするのもフィギュアスケートである。 もちろんフィギュアスケートに限ったことではない。
「天国の住人となれるよう、アラーに執なしを祈る。」ということは、
たとえば、スポーツ選手や芸能人などが若くしてあっさりと亡くなってしまうことがある。 そのとき、生前の偉業をみんなで称えることで、人々の心の中にその偉業が記憶として残る。
五行の一、信仰の告白
イスラム信仰の基本である次の言葉(カリマ)を表明する。
「わたしはアラーの他に神はないことを証言します。」
「わたしはムハンマドはアラーの使徒であると証言します。」
義務行為の五行の中で最も大切な柱がこのカリマを信ずることである。 この柱が失われない限りその人は信者である。
次の事実を信じる。
「アラーの他に神はない。」
La ilah illa Allah
「ムハンマドはアラーの使徒である。」
Muhammad Rasul Allah
五行の二、礼拝
一日五回定められた枠内で礼拝を行う。
  • 日の出前
  • 午後
  • 日没
たとえば、
一日五回定められた枠を自分で決めて仕事や学業などの種類によって雑談なり瞑想なり休憩なり運動なりで生活のリズムを整える。
  • 起床時
  • 10時ごろ
  • 昼食後
  • 15時ごろ
  • 夕食後
五行の三、喜捨
与える者にも受け取る者にも人間としての喜びと神への感謝があり、同胞愛を示すものである。 人には運、不運があり、ものごとの結果は、本人の努力によって決まるものではない。 富める者が貧しい者に財産の一部を施すことは、神に対する信仰の証であり、それによってその人のもつ財産のすべてが一層価値あるものとなる。 喜捨には義務のものとは別に任意のものがある。 任意の喜捨は、金銭や物だけではない、その人の行動、例えば親切な言葉を掛けること、気持ちよい挨拶や、老人や身体の不自由な人に手を貸すことも任意の喜捨であり、神の貸付として計算され、その人の天国の道へ連なるのである。
←同じ。
お正月の初詣でのお賽銭も喜捨と言える。 良い行いをすることで神のご加護が得られる。 それ以上に悪いことをしたらダメである。
五行の四、断食
イスラム暦の九月、健康で家に留まる者は、この30日間日の出前から日没まで、一切の飲食を断つことが義務づけられている。 この断食は、一年間に蓄積された不純物を精神的にも肉体的にも除去する斎戒の勤行であり、信仰心の昂揚によって自分の心身の浄化を目指すものである。
健康で家に留まるのが難しい人は、年一回健康診断を実施し、診断結果によってはダイエットなどの習慣が必要である。
五行の五、巡礼
預言者ムハンマドが生まれイスラムを開教した聖地がメッカである。 ムスリム(イスラム教信者)は一生に一回は、でき得る限り巡礼に参加することが義務づけられている。
←同じ。
酒は飲めない。
酒に関して次の事実がある。
  • 犯罪者の弁、「酔っていて覚えていない。」
  • 酔っ払い運転事故が後を絶たない。
  • 病気になって診察を受けると、酒とたばこの量を聞かれる。
  • 酒は人の意識を失わせるほどに危険なものである。
以上から、人によっては、次のような疑問を持つ人もいる。
「レバ刺しを禁止するならどうして圧倒的に害が多い酒や車は禁止しないのか。」
体質によって酒に強い人と弱い人がいることが分かっている。
車は人によっては必需品。将来的にはAI化により事故は極力防ぐことができるようになる。災害時のサブハウスや自家発電機能なども期待される。
麻薬はダメだけれども酒とたばこは良いと判断するか、酒もダメと判断するか、これは文化と伝統の違いと考えるべきだと思う。
豚肉は食べられない。
豚肉は不浄なものとして一切口にすることができない。
健康維持方法としてカロリーを抑える菜食がブームのこのごろ、 スタミナをつけるには魚が良いとされ、肉は鶏肉が選ばれる。 牛肉や馬肉は刺身にも使えてレアでも食べる事が可能だが、豚肉は必ず中まで火を通すようにと注意される。 つまり良い食べ物の優先度としては豚肉は低位置にある。
しかし、安くておいしいのでよく食べる。 これも文化と伝統の違いと考えて許されるべきだと思う。 日本人は猫の肉は食べない。
男女間の不平等性
イスラム社会には職業や服装や家庭生活の面で、一見男女不平等に見られる側面がある。 しかし、それは男と女の間には、肉体的にも社会的生活の面でも違いがあることを認めるが、意識としては差別や区別とは違うということである。
男には男の、女には女の役割があるということで、男性は外に出て一家を養うための収入を得る。女性は家庭を守る。現在も幼児の教育は母親に委ねられるのが、一般的であるが、実態を見ると、サラリーマンの男性がよく食料品の買物をしたり、子供が病気のときは仕事を休んで世話をする姿が見られる。そうした子どもを中心とした家族の絆は強く、それが家族崩壊を防ぐ要因となっている。
たとえば、陸上の世界記録を比較するまでもなく、男性の方が女性よりも優れている部分がある。 しかし、男である私は女性である福島千里には100m競争で絶対に勝てない。 指導者数を男女とも同じにするということではなく、全体の指導者の30%を女性にするといった対応が平等ということである。 もちろん30%という数字は職種により0%~100%の可能性がある。 出生率低下の原因の1つは男に対する高望み、子供を育てるのがめんどくさいなどが考えられる。 この場合、女性としての役割放棄という一面もある。
天国にはきれいなお姉ちゃんがいっぱい
天国にはきれいなお姉ちゃん(イケメン)が多いので天国に行けるように努力する。
女性にもてたい人は女性にもてるように努力して生きる。 本屋に行けば、
「もてたいならこうしろ。」という本がいっぱいある。
もてたくなければその逆をやれば良い。
国によっては、男性から女性に酒を注ぐとか、女性を褒めることが習慣になっている。
聖戦
闘いは自衛のためであること。
闘う相手は戦闘員であること。
非戦闘員、とくに婦女子に対する手出しは禁じられている。
コーランより、
「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアラーは、侵略者を愛さない。」
非戦闘員に危害を加えないばかりでなく、樹木や収穫物も損傷せず、敵が降伏すれば講和し敵意を解消する、また講和を望めばそれに同意する。 これがムスリムに許された聖戦(ジハード)といわれる戦争である。
←同じ。
過去の戦争責任を問おうとする人がいるが、今現在戦争を起こさない努力をすることが先決である。 今現在のどういう人が戦争を起こそうとするかを研究すればどういう業界のどういう人のDNAが過去の戦争の原因かが推測できるようになる。
世界は観光や経済活動などで国境を超えて行き来するようになっている。人間は自分達を客観的に観ることができない難しい生物だが、文化の違う外国人によって自分達には気がつかない問題を指摘してもらえる。紛争が絶えない国はその国民のDNAの傾向に問題があると考えられやすいが、歴史をたどると先進国と思われている国々の人々のDNAが常に新種の異物を流行らせて紛争を大幅に増加させたということも言える。山口組の抗争なども日本人のDNAの傾向のサンプルとして世界は見るだろう。

世界の宗教の多さは人類の生き方の多様性を示している。イスラム教に限らずどの宗教も、多くの政党のように否定的に解釈されてしまう部分があるため、日本人は、無宗教の人が多かったり、お正月は初詣をして盆には墓参りしてクリスマスにはサンタクロースがいたりケーキを食べたりするなど、毎日の生活に負担にならないようなことは実践するという、ちょっとだけ信者みたいなところがある。 しかし、ISによるテロ事件があって、「イスラム教にも学ぶべき部分がある」というスタンスでイスラム教を応援しようと思い、たまたま所有していた宗教の解説本を読み始めた。すると、一度読んだことがある解説本なのに、今読むと、応援どころか、イスラム教こそが我がホームページで説明している内容の結論に最も近い宗教であることが判明した。従って、唯一絶対神ユイラーと記載していたページも唯一絶対神アラーと修正した。

参考資料

・樋口美作著「日本人ムスリムとして生きる」

改正履歴

・2015-12-31 初版

・2017-01-03 更新(わずかな修正&追加)

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