神はどこで発生したのだろう。次のいずれかである。
- 存在しない
- 地球で発生
- 地球以外の宇宙で発生
- 宇宙以外で発生
1).「存在しない」説
地球上の生物は自然に発生して進化したという説。
月も太陽もその軌道も自然に発生したものである。神とは人間が考えた比喩である。
2).「地球で発生」説
神は地球にいる。
地球に神が発生した後、神は太陽系の動きを制御できるようにした。(とは限らないが簡素化のため、このように定義)
神は、地球上の生物の脳や自然環境を管理していて全ての動作を把握している。
ニュートンは、太陽系の模型を部下に造らせ、「偶然出来るはずがない」と言って「存在しない」説を否定している。
現実問題として、太陽系(特に地球と生命)が偶然発生する確率よりも神(例えば思考力がニュートンの千倍以上の脳)が単独で偶然発生する確率の方が遙かに高いことは確かである。
私達人類が月に新しい生物を創ることを考えてみよう。まず第一に創るのは生物が豊かに暮らせるための自然環境である。
「地球で発生」説については、「進化創造論~《進化の歴史》」で説明している。
3).「地球以外の宇宙で発生」説、「宇宙以外で発生」説
神は天にいる。
ここで言う天とは宇宙の一部のことなのか、宇宙を越えた存在のことなのか。
NASAによると、ハッブル宇宙望遠鏡が最も遠い宇宙の果ての撮影に成功したという。それによると、生まれたての宇宙は、コンピューターで長時間かけて計算した結果(青い星群)と似た結果だったとのことである。神の御加護により、全宇宙のなぞを解ける日が近いように思えるが、現状では「宇宙は自然に発生」説と「神が宇宙を創造」説のどちらかに確定するには至っていない。
太陽が地球に自然環境を準備して生命を誕生させたという可能性も高いと思う。銀河系に神の中枢がある可能性もある。考えるときりがない話である。
人間の脳と人間が造ったロボットの脳を比較すると、動作原理が全く違う。神の脳と人間の脳も同様に全く違う土壌で動作しているのだろうか。
神の脳と人間の脳が全く違う土壌で動作している場合、「宇宙以外で発生」説が有力である。
神は永遠の命を持っていて、その土俵上に宇宙を創造したという説もこの説のグループである。
「同時に2つ以上の宇宙が存在する。」という説も「宇宙以外で発生」説が有力である。
人間とロボットの通信は無線(電波)を使う。神と人間の脳の通信も電波や電磁波の類で通信するものと思う。
大雑把ながら、現代科学ですでに電磁波を使って脳で認識した映像を表示するという技術が開発されている。
神と人間の通信には、桁違いの莫大な超微細多段多層波形が使われているものと思う。
もしも人間が、精巧で人間に近い頭脳を持つ力持ちのロボットを創る場合、ロボットが勝手に自分の脳を変更して人間が制御出来なくなるというようなことがないように設計しなければならない。
多神教とはどういうことだろう。次のような感じだと思う。
- 唯一絶対神の作業を分担&グループ分けして多くの神の集まりと定義。それぞれのグループのリーダーを神と呼ぶ場合もある。
- 神道も創造論がベースで、「生物も山川国土もすべて神から産まれたもので、人間はみな兄弟であり、自然もまた人間の兄弟である。」としている。「すべてのものに神が宿っている。」という考えは、「人間が造ったロボットや電気製品、造花、演劇、芝居、絵、音楽等には作り手の魂が宿っている。」という考え方と同じである。
宇宙は無から始まり爆発的に増えていった。
神を理解するには、難解な比喩システムを理解する必要がある。たとえば「光が射し込む」といった表現である。
パソコンに喩えると、
私がはじめて購入したハードディスクの容量は3MB(メガバイト)だった。
その後、爆発的に容量が増えていった。今ではテラバイトである。
当時の常識では全く予想もできなかった容量である。しかも、その容量を使いこなせている。
メモリ容量は640KB(キロバイト)以下だった。今ではギガバイトである。
歴史の進む時間の基準であるシステム動作クロック(周期が一定のパルス信号)は10MHz(メガヘルツ)にもなって仰天したものだったが、今ではギガヘルツである。
太古のOSであるMS-DOSはシステムとユーザアプリケーションプログラムをたった一枚のフロッピーディスクに入れて動かすことが可能だった。
たとえば、システムの入っているフロッピーを入れて電源を入れると、まずパソコンのROMに入っているプログラムによって、フロッピーに入っているシステムプログラムがパソコンのRAM上に転送され、転送されたプログラムへジャンプすることによりMS-DOSが始めて動きだした。
ここで人間がコマンドを入力するとそのコマンド(プログラム)がMS-DOSの子プロセスとして生成され(空いている他のRAMへそのコマンドに相当するプログラムファイルが転送され)、MS-DOSからそのプログラムへジャンプすることにより、子プロセスが動いた。
この子プロセスは、更に子プロセスを生成できるようになっていた。
もちろんこれらは、MS-DOSのRAM管理下に存在し、子プロセスがどこで動いているのかをしっかりと把握していた。子プロセスが終了した後はその領域が必要なくなるので、次のプロセス用にRAMを開放した。
MS-DOSは同時には1本のプログラムしか動けなかった。
たぶんメンテナンスも1人か2人で十分だったものと思う。
一般ユーザ用としては、その後、複数のプログラムを同時に動かせるWindows95というOSが登場した。
製造者数もメンテナンス要員も爆発的に増えていった。
今もWindowsがパソコンの主流OSとなっているが、スマートフォンの登場により、リナックス(Linux)が脚光を浴びている。
リナックスは、世界中の技術者が協力して発展した。
オープンソースソフトウェアとしてソースコード(システムにかかわる内部構造、データ仕様等)が公開されて、誰もが自由に利用したり修正したりできるようになったのである。
現在のユーザアプリケーションプログラムは創造主が存在するかどうかを理解できていない。
せいぜい「私を創造したのは人間です。」というメッセージを出力できる程度である。
しかし、創造主(人間)は存在している。
二つで一組の手、足、目、耳、鼻、口、脳などを周辺装置として持っている我々人間にも創造主が存在していると考える方が自然である。
神がどこにも存在しない説よりも、頭脳だけの存在である神が自然発生して人類と環境を創ったという説の方が、はるかに高い確率である。
宇宙は今も膨張を続けているとのことである。
次のただ一つの条件を肯定することにより、地球上のあらゆる不可思議な現象が不可思議ではなくなる。
条件:神(創造主)は存在する。