2014/06/15

一昨年(2012年)の9月に正式に中国に出張して以来、3度の一時帰国を含めて一度も再入国を拒否されることなく無事に日本に帰国できた。国籍が日本なので再入国とは言わないと思うが。

ホームページが更新されない期間が長いと自動的にページの頭にCMが付くしくみになっていて、どのページもCMがメインになっているのが残念だが、今日のこの書き込みで元のページに戻る。

本ページは中国の一般の人は読むことができない。中国では裏わざを使うかなんかしない限りYouTube, FC2, Facebookなどのページを読むことができなかった。私も読まなかった。

しかし、それがホームページ更新をサボった理由ではない。日本と中国の世界的有名メーカーの合弁会社勤務ということで、両国の優秀な人材が集まっている中に私一人だけ飛びぬけて頭が悪い人間がプロジェクトに参加しているため、普通の人が1時間働いているところを5時間働いても追い着けないという現状があり、たとえホームページ更新が中国で可能だったとしてもそれどころではなかった。

帰国を果たした現在は、宇宙から帰還したかのごとくリハビリ休暇中で、その合い間に書きたいことが書ける状態である。

日本と中国の世界的有名メーカーの合弁会社勤務と書いたが、便宜上、日本企業をAAAAA社、中国企業をBBBBB社、合弁会社をCCCCC社、共同で開発している製品名を機器DDDDDと呼ぶことにする。って、これらの仮名をすべて使うかどうかまだ考えていないが。私はCCCCC社が機器DDDDDを製品化するための援助要員として中国に出張した。

私はAAAAA社の社員ではなかったが機器DDDDDの前機種で現在も出荷中のバージョンの内部ソフトウェアを担当した経験があったためにAAAAA社側ソフトウェア担当援助要員の一人(最終的にはアドバイザー)として一昨年の1月に中国出張の声がかかったのだった。上海のCCCCC社という話だったが実際は上海から100km以上南京側に行ったところの无锡市が勤務地だった。わりと最近になって無錫旅情という有名な歌があることを知ったが、その無錫市の中国での表記(簡体字)が无锡市である。休日を利用して南京にも行った。過去の歴史の勉強とかではなく长江(揚子江)を見るのが目的だった。天気は晴れていたが空の見通しは良くない中、南京駅に着いて3輪タクシーに乗ってみた。そしたらそこに女の子が乗ってきた。その子(同乗者)が先に降りて金を払ってまた車が動き出した。運転手も女性で、その後私が降りるときに、距離のわりに高額を要求されたので、中国語がわからないとか金が少ししかないとか言ったあげくに不用意にも自分は日本人だと言ってしまったのだが(聞かれたからだが)、意外にも親近感のある明るい絵顔になって日本のことが載っている辞書みたいなのを見せてくれてなんか言っていた。意味はわからなかったが、なんとタダにしてくれた。少しは払うべきだったと後で思った。その後、路線バスで中山码头(埠頭)に到着して长江(揚子江)と対面。长江はさすがに大河で川辺は海のような波があった。その後、南京大桥まで行ったが途中には貧困層が住んでいる街があり、一般の人が気軽に川辺に到達できない構造になっていた。乾いている川に置かれている古い船が住居として使われていて、そこに住むにも仲買業者がいるようだった。見間違いの可能性もある。貧困層といっても不幸とは限らないと思える様子も見た。南京大桥には開発当時の写真が展示されている無料の写真館があった。受付係は口紅で化粧していて忙しそうだった。そこから川辺までが非常に遠かった。やはり大河である。

話はそれたが、私以外でAAAAA社から中国赴任または出張している人はみんな指導者層の方々で私の出張中に増減はあったが概ね5人程度いた。ワゴン車で毎日私一人だけポツンと層の違う人間が乗って合わせて最大6人で通勤した。昼食もCCCCC社の食堂で概ね日本人どうしで一緒に食事をとった。たまに中国人と一緒のこともあった。肉類か魚類の他、果物と野菜が毎日出されて食事には満足した。めかぶのような昆布のような日本のものとは微妙に違う素の野菜とか、コンニャクみたいなレバーみたいな不思議な感触のものなど様々だったが、総じて私の好みに合う食事だった。食材には素材そのものに旨み成分が含まれているものと素材そのものは味がなくてスパイスや調味料などで味付けして美味しくするものがある。それによって多種の食材が生き残っているという感じである。刺身の味がする味付けの野菜も経験した。ザリガニは昼食には出なかったが専門店で一度食べた。ザリガニは食べるところが少なくかつ味は淡白。おまけに食べずらいのだが、辛くて残る味付けで多くの人を引き付けているようだ。

日本人の指導者達はさながら「七人の侍」といった感じで常に仕事のことを考え品質に厳しく細かいことにこだわる人達だった。 指導者達はお互いに批判しあいながらもそれに耐える、パンチドランカー寸前になりながらもかろうじて強靭さを失わない人達だった。 お互いの批判の仕方は非常にユニークで日本食が集まる広場で共に夕食をとり、いない人の問題点を指摘するといった感じだったようだ。 侍達はさすがに自分の行いには絶対的自信を持っている。 その品位にこだわる侍達から聞いた日本人の下品な話としては、

・**さんは女遊び目当てで中国に出張に来ている。
・太湖(観光地)を若い女の子と一緒に歩いている50代~60代の人は大金を払ってデートしている日本人だ。

自分の娘だと思って、(自分の娘も同じことをされると思って、)誠意を尽くす分には問題ないことで第三者がとやかく言うことではないと感じた。

私が出張で接した日本人と中国人は少なくとも私よりは幸福な人達で「みんなのための幸福の科学」を「私よりは幸福の科学」に変更したいぐらいだが、作業が増えるので「みんなのための幸福の科学」のままにする。CMが付かない程度に更新は続けようと思う。

次回は「日本人と中国人の違い」と題したページを書こうと思う。中国人というより無錫人と書いたほうが近いという気はする。日本人も、日本人というより私の近所(神奈川県、東京都など)の人々ということになる。

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