秋川雅史が紅白歌合戦で歌って話題となった曲「千の風になって」を考える。

「千の風になって」の内容は次の通り。

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのようにきらめく雪になる
朝は鳥になってあなたを目覚めさせる
夜は星になってあなたを見守る

私のお墓の前で泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています
千の風に 千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています

母への強い思いのある方が日本語に訳されたとのことである。

人それぞれの解釈があると思うが、私の解釈は次の通りである。

結論を先に言うと「千の風になって」は神からの真実のメッセージである。

クラウド霊システム」で示したように、便宜上、人間が考えて理解できる部分を“意識”、理解できない裏機能部分を“魂”と呼ぶことにする。

人間は神(人に対応する魂)とともにある。

人間の行動は神(人に対応する魂)と人側の魂と意識の協同作業によるものである。

神は人側の魂と意識を完全に把握している。

人側の魂と意識の機能は人間という実体(脳と周辺装置)によって実現される。

人間が死ぬということは人間という実体が死ぬことである。よって実体の中の魂も意識も消滅する。

死んだ人間の魂と意識を完全に把握して共有していた神(死者に対応する魂)は今も生きている。


人が死ぬと、その人のことをみんなで語り合うことがある。

死者の生前の長所や短所をみんなで語り合って次世代に生かすのは良いことである。

死んだ人の生前の魂と協同作業した神は生きているので、「死人に口なし。」と考えるのは間違いである。

神の分身が他の人や新しく生まれた人間と新たに共同作業を行う。

千の風から千手観音を連想する人もいると思うが、神は人口分の手と目と魂を持っている。

「千の風になって」は、例えばテロや自殺などで家族を亡くして絶望的な悲しみの中にある人達へのメッセージである。もちろん、悲しい事実というのは事実なので目をそらしてはいけないと思う。

例えば、

「どうして自分達がテロにあったのだろう。」とみんなで考えることである。


英語版「Do not stand at my grave and weep」は次の通り。

Do not stand at my grave and weep;
I am not there. I do not sleep.
I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn's rain.
When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.
Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.

アイルランドでテロの犠牲になった1人の若い兵士が書いたとされる。生前に、「もし僕が死んだら開封して下さい。」と母に託した手紙に書かれていたもの。

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